当事者意識

以前、後輩がメンタルを病んで会社に来られなくなった話を書いた。

https://jun8281.hatenablog.com/entry/2023/01/24/223628

彼は数日後、産業医の面談とメンタルクリニックの通院を経てなんとか復帰したものの、彼を「使う側(言い方が悪いが・・)」の先輩、上司たちは気を遣いながら業務を振らざるを得ず、結局は担務の変更=業務量の軽減という形に落ち着いた。

彼はまだ若い。これで、変なレッテルを貼られたり仕事イコール嫌なこと、会社も嫌な場所とならないことを祈るばかり。

 

一方、最近入社から10年を過ぎ、担当から指導職と立場の変遷を経験するにつれ、仕事では

・やる気

・コミュニケーション能力

・知識

といった個別の要素は大事なのは間違いないが、結局は「いかに当事者意識が高いか」にという問題に帰結するのではないか?という自分なりの仮説と持論が形成されつつある。

というのも、会社を休んだ後輩を責める気は毛頭ないのであるが、彼から「なんで自分ばかり、こんな大変な思いをしているのか。他の人はもっと楽をしているのに。」と言った旨の発言があり、そこに「やらされている感」が透けて見えたことだ。

 

翻って自分のことを考えてみると、確かにやらされ感のある仕事やお願い事には本気になれないし、面倒臭いなという思いが優先することが多い。勢い、要求されている以上頑張ろう・学ぼうという気も起きないし、後回しにもなりがち。で、精神状態がよろしくないと「なんで俺ばっかこんなことを・・」とやさぐれたりもする。

他方、例えば高校時代の部活や受験勉強など「大変だけど自分のこと」は一生懸命取り組んだというのは多くの人が納得するところかと思う。自分は進学校に通っていた&あまり優秀でもなかったこともあり、受験期には5時代に起床して学校に行き、朝から勉強なんていうのをそれなの長期、継続していた。なんとか合格したいし、より成績を上げたいという思いに駆り立てられていたことを思い出すとともに、そこに「なんで俺ばっかり・・」という思いなぞ毛頭なかった。もしかしたら、周りにも同じような境遇の友人がいたというのも環境の面で恵まれていたこともあるのだろうが。

 

会社に入ると、希望はなるべく叶えると名目上言われてはいるものの、ポジションも限られるし、異動のタイミングもある。各人の希望が100%かなうことなぞない。笑い話で60歳手前の方が「楽してたくさん給料がもらえる仕事はねえのか!」と言っていたしw

ある程度の規模の会社に入った若手は特に、どんな仕事があり、実際にどんなことをしているのかというのを全て把握することは難しいし、経験もないので上司サイドもある程度の経験と伝聞程度のキャラクター・性格等を考慮して業務分担を決めざるを得ない。

で、技術系の仕事は明日から即戦力!となることは極めて少なく、分担が決まりある程度の期間が計画すると、担務の分担には大きなコストがかかることになり、新陳代謝も停滞しがち、という流れである。

人事制度も評価方法も個人の希望を叶えることも、両立させるのは本当に難しい。